Masuk十一月に入って、日が急に短くなりました。
五時を過ぎると、もう川沿いの道が暗くなります。
街灯の間隔が広いので、明るいところと暗いところが交互に来ます。
火曜日は、新太くんの日でした。
冬服になってから、四人の見分け方が少し変わりました。
上着の着方に、それぞれの癖が出るからです。
新太くんは、寒くても前を開けています。
◇
その日、教室を出るのが少し遅くなりました。
幸也くんが、数学のノートを見せてくれと言ってきたからです。
ついでに雑談になって、幸也くんがくだらないことを言って、私は笑いました。
廊下に出たとき、新太くんが壁にもたれて待っていました。
「ごめんなさい。遅くなりました」
「別にいい」
声が、少し硬いと思いました。
鞄を取り上げる手つきも、いつもより雑でした。
歩き出しても、新太くんは何も喋りませんでした。
この人が黙るときは、た
十二月の月曜日は、幸也くんの日です。その日は朝から雨で、放課後になっても止みませんでした。傘を持っていなかった私に、幸也くんは自分の傘を押しつけて、自分はフードをかぶって歩き出しました。「入ってください」「いいって。俺、雨好きだから」「嘘です」「ばれた?」結局、二人で一本に入りました。肩が濡れるのは、幸也くんのほうでした。何度こちらに寄せても、その分だけ幸也くんが離れます。途中で諦めました。歩きながら、幸也くんはずっと喋っていました。昨日見たテレビの話。クラスの誰かが先生に怒られた話。コンビニの新作の肉まんが思ったより小さかった話。全部、どうでもいい話です。幸也くんは、私が黙っていると必ず喋ります。三秒以上の沈黙を、この人は作りません。最初は、そういう性格なのだと思っていました。夏の川で笑っていたときも、ずっと喋っていたからです。でも、十二月になって気づきました。この人は、喋っているのではありません。沈黙を埋めているのです。商店街のアーケードに入って、傘を畳んだとき、私は聞いてみました。「幸也くん」「ん?」「疲れませんか」幸也くんの手が、一瞬止まりました。「何が?」「ずっと、喋っているのが」「疲れないよ」幸也くんは、すぐにそう言いました。速すぎる返事でした。「じゃあ、十分だけ黙ってみませんか」「は?」「今から十分、二人とも黙って歩きます」「なんの罰ゲーム?」「罰ゲームじゃないです」幸也くんは、明らかに困った顔をしました。困った顔をしたことを隠すために、笑いました。その一瞬の表情を、私は見逃しませんでした。久遠くんの見
十一月に入って、日が急に短くなりました。五時を過ぎると、もう川沿いの道が暗くなります。街灯の間隔が広いので、明るいところと暗いところが交互に来ます。火曜日は、新太くんの日でした。冬服になってから、四人の見分け方が少し変わりました。上着の着方に、それぞれの癖が出るからです。新太くんは、寒くても前を開けています。◇その日、教室を出るのが少し遅くなりました。幸也くんが、数学のノートを見せてくれと言ってきたからです。ついでに雑談になって、幸也くんがくだらないことを言って、私は笑いました。廊下に出たとき、新太くんが壁にもたれて待っていました。「ごめんなさい。遅くなりました」「別にいい」声が、少し硬いと思いました。鞄を取り上げる手つきも、いつもより雑でした。歩き出しても、新太くんは何も喋りませんでした。この人が黙るときは、たいてい機嫌が悪いときです。黙るのが下手な人だから、黙っていること自体が答えになってしまいます。橋の手前で、新太くんが立ち止まりました。「悪い」「え?」「今、俺、感じ悪かった」欄干に手をついて、新太くんは川を見ていました。「幸也と喋って、お前が笑ってるの見て、腹が立った。それだけだ」「……そんなことで、謝らなくていいです」「そんなことじゃない」新太くんの声が、少し大きくなりました。「腹が立ったんだよ。幸也に。あいつは何も悪くない。ただ喋ってただけだ。それで腹が立つ俺がおかしい」川の音がしていました。十一月の水は、見るからに冷たそうでした。夏に幸也くんと入った川と、同じ川です。あのときは足首まで浸かって、冷たいと笑っていました。「俺さ」新太くんは、そこで一度、息を吐きました。「た
週が明けて、私は四人を呼び出しました。生まれて初めて、自分から四人を呼んだのだと思います。場所は、学校の裏の坂道にしました。三年前の秋、和樹くんが私に告白した場所です。四人のうち、それを知っているのは私だけでした。和樹くん本人も、知りません。あの日のことは、この人の中から消えています。それでも、ここにしたかったのです。始まった場所で言わなければ、逃げたことになる気がしました。放課後の坂道には、銀杏が落ちていました。四人が並んで立っていました。何の話か、たぶん見当はついていたのだと思います。誰も口を開きませんでした。和樹くんが少し前に、新太くんがその横に、幸也くんが端に、久遠くんが一歩後ろに立っていました。並び方まで、いつもと同じでした。「後夜祭のこと、ですけど」声が震えないように、私は一度息を吸いました。「返事が、できません」風が吹いて、銀杏の葉が足元を転がっていきました。「でも、黙っているのは違うと思ったので、言いに来ました」「それってさ」幸也くんが、いつもの調子で言いました。「全員フラれたってこと?」「違います」即答してしまってから、まずいと思いました。「……違うんです」「じゃあなんだよ」新太くんでした。責める言い方ではありませんでした。本当に分からない、という声でした。私は、何も言えませんでした。四人とも好きです、とは言えません。言ったら、それは四人を侮辱することになります。誰か一人を選べません、と言えば、理由を聞かれます。理由は、絶対に言えません。うつむいたまま、私は立っていました。坂の下を、部活帰りの一年生が通っていきました。笑い声が遠ざかっ
文化祭の代休が明けて、学校が始まりました。四人は、普通でした。幸也くんはふざけていたし、新太くんは鞄を持とうとしたし、久遠くんは半歩前を歩いたし、和樹くんは何も言いませんでした。誰も、後夜祭の話をしませんでした。当番表も、そのままでした。月曜は幸也くん、火曜は新太くん、水曜は久遠くん、木曜は和樹くん。誰も順番を変えようとしませんでした。変えたら、何かが壊れると思っていたのかもしれません。◇それを聞いてしまったのは、木曜日の放課後です。部室に置き忘れた資料を取りに戻って、四組の前を通りかかったときでした。教室の戸が、少しだけ開いていました。「——だから、全員言ったってことだろ」新太くんの声でした。私は、足を止めました。止まってしまってから、聞いてはいけないと気づきました。それでも、動けませんでした。戸の隙間から、夕方の光が廊下に伸びていました。中の四人からは、こちらは見えないはずでした。「なんで知ってんの」幸也くんの声です。「顔に書いてある」久遠くんでした。「お前ら二人とも、月曜からずっと変な顔をしてた。それと、俺も言った」「久遠も!?」「言った」しばらく、沈黙がありました。「……俺も言った」和樹くんの声でした。三人が、同時に何か言いました。よく聞き取れませんでした。「和樹が? お前が?」「うん」「嘘だろ。お前、そういうの一番しないタイプだろ」「したよ」また、沈黙がありました。長い沈黙でした。「……なあ」新太くんが、低い声で言いました。「俺たち、今まで一回も、この話しなか
気づいたら、結守神社の石段の下に立っていました。どうやって来たのか、よく覚えていません。校門を出て、商店街を抜けて、川沿いの道を走って。途中で靴擦れができていたことに、あとで気づきました。十月の夜は、もう息が白くなりかけていました。制服の上着を、教室に置いてきてしまったことに気づきました。取りに戻ることは、できませんでした。石段を上りきったとき、膝に手をついて、しばらく動けませんでした。境内には、誰もいませんでした。当たり前です。祭りでもないのに、夜の神社に人がいるわけがありません。常夜灯が一つだけついていて、拝殿の階段の下まで光が届いていました。あとは全部、暗い木の影です。八月には提灯が下がっていた参道に、今は何もありません。玉砂利を踏む音だけが、やたらと大きく聞こえました。「結守さま」声が、思ったより大きく響きました。「結守さま、いらっしゃいますか」返事はありませんでした。「出てきてください」私は、拝殿に向かって言いました。「聞きたいことがあるんです。たくさんあるんです。緒が育てばって、どういう意味ですか。どれくらいかかるんですか。四人は、あのままでいいんですか」風が、木を鳴らしました。「誰か一人を選んだら、どうなるんですか」答えはありません。「三人は、どうなるんですか」私は、返事を待ちました。待っている間だけ、まだ誰かが答えを持っているような気がしていました。常夜灯の周りを、小さな虫が回っていました。私は、階段に座り込みました。この二か月のことを、全部、誰もいない境内に向かって話しました。当番表が冷蔵庫に貼られたこと。幸也くんと川に入ったこと。新太くんの手が震えていたこと。久遠くんが毛布を持ってきてくれたこと。
文化祭は、二日間とも晴れました。喫茶店は大盛況で、私は二日でナポリタンを百二十皿運びました。久遠くんの展示にも、思っていたより人が来ました。町の年寄りが何人も足を止めて、「これ、うちの親父の写真だ」と言って笑っていました。新太くんの焼きそばは、二日目の昼に売り切れました。全部が終わって、校庭に火が入ったのは二日目の夕方です。閉会のアナウンスが流れたとき、教室のあちこちで拍手が起きました。段ボールのソファは、二日目の昼に本当に壊れました。◇後夜祭は、うちの高校では中庭でやります。櫓は組みません。金属のドラム缶に薪を入れて燃やすだけの、簡単なものです。それでも暗くなってから火を見ると、みんな盛り上がり、いつもと雰囲気が変わります。私は、輪から少し離れた石段に座っていました。疲れていたのと、火の色が、あの夜の提灯に似ていたからです。結び火祭りの参道には、両側にずっと提灯が並びます。オレンジ色の、少し古い光です。あの夜のことを思い出すと、もう息が浅くなるようになっていました。最初に来たのは、幸也くんでした。何も言わずに隣に座って、綿菓子を差し出してきました。「もらいもの」「ありがとうございます」しばらく、二人で火を見ていました。綿菓子は、持っているだけで少しずつ小さくなっていきました。「澪ちゃん」「はい」「俺さ、笑わせるだけの人間だと思われてるの、けっこう嫌なんだよね」火の粉が上がって、消えました。「新太に言われたからじゃないよ。前から思ってた」「幸也くん」「俺、ちゃんと好きだから」軽く言おうとして、失敗した言い方でした。語尾が、少し硬くなっていました。こちらを見ませんでした。「それだけ。言っただけだから、返事とかいいよ」